17是故空中無色

般若心経とデザイン
般若心経・画報伝です。
今回は
パート17
「是故空中無色」
「空気ように自由な方向から物を見たり考えたりしなさい」って
解釈しましたが
空気のようになんて
意味不明な表現
ましては
自由な方向から物を見るとか?
よく、空気のような存在なんて言う
人もいるけど
般若心経においては
無であり、空であり、自然でありみたいな
一体何を悟ればいいのか?
なんて
自問自答したりして
般若心経を
毎日唱えて
ときには
写経で文字をたどり
何度も繰り返し唱えると
見えてくるものがあるかも?
正直自分には繰り返しって
無理そうなんだけど
でも
つまり
どんなときでも心豊かに
毎日の平穏を願うばかりの
祈りが般若心経であっていいのかな?
なんての思い。
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